昭和39年、大谷、諏訪の両農協が合併し、旭村農協が誕生しました。当時は麦や甘藷の栽培が中心でしたが、昭和38年にプリンスメロンの試作が行われ、昭和41年に故竹内音次郎氏を部長としてメロン部会が結成されました。
結成当時は栽培面積も少なく、部員も30数名でしたが翌年には部会員は115名に増加し、出荷箱数も11万7千箱に達しました。
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平成元年、赤肉であるクインシーメロンの栽培が本格的に開始され、平成7年には全体の30パーセント、平成10年には50パーセントに達し、以来旭メロン全体の5割強の出荷量を占めています。

クインシーメロンの名前の由来は、赤肉なので女性的ということで『クイーン』、カロテンたっぷりで健康的なので『ヘルシー』、この二語からの造語です。 
昭和?年以来プリンスメロンを中心としたノーネットメロンの栽培が盛んになり、現在でも出荷されているキンショーメロンの栽培も始まりました。
昭和51年には販売高10億、出荷箱数は100万箱、箱平均単価は1000円を突破するまでに至りました。
翌、昭和52年、ネット系メロンのアンデスメロンが誕生し、翌年から旭村農協でもアンデスメロンの栽培が始まりました。
以来、ネット系メロンの割合は増加し、昭和57年にはプリンスメロンの作付面積が50パーセント台になり、翌年にはネット系メロンが全体の75パーセントを占めるまでになりました。

プリンスメロンの『プリンス』は、皇太子ご成婚記念、
アンデスメロンの『アンデス』は、『安心です』を略したものです。 
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